3歳を過ぎて暴れん坊の大型犬が劇的に落ち着いた
しつけによって実現したかったのは次の5原則。
1.リードを引っ張らない
2.無駄吠えをしない
3.勝手に食わない(拾い食いしない)
4.噛まない
5.留守番できる
5原則に対して行ったしつけはこちら↓
https://large-dog.iehikaku.com/archives/4096
この中で「1.リードを引っ張らない」がもっとも困難を極めた。
(本当に疲れました……)
だが、3歳を過ぎる頃にやっとミッションコンプリート。
そこから犬を超えた親友になるまでの過程を綴ります。
思い出すと先代犬の前太(ぜんた・バーニーズマウンテンドッグ)は、かなりやんちゃな犬だったと思う。
いつでも、どこでも「自分の思い通りにしよう」と虎視眈々だった。
それが3歳を過ぎた辺りから雰囲気が変化してきた。
徐々にだがリードを引っ張らなくなり、砂浜でノーリードにしても10m以上は離れなくなった。
離れないので声が届く。
すると呼び戻しもできるようになってきた。
そして、その頃から先代犬が私の目をよく見ていることに気がついた。
散歩をしているときに私より前を出ると振り返る。
ノーリードにすると一瞬ダッシュするがすぐに振り返る。
その様子は彼が、「お父しゃん、ここまではいい?」と許可を求めているようにも「どうせ自分の思う通りにはならないんでしょ」と諦めてきているようにも見えた。
前太が素直になったのは、個人的にはカヌーの経験も影響していると感じている。
ちょうど3歳になった頃、友人に誘われてカヌー(インフレータブルカヤック)で川下りをすることが度々あった。
前太はマウンテンドッグなので、水が得意ではない。
何かにつけて「それではここでーー」とカヌーから降りたがった。
その都度私たちは「まぁまぁそう言わずに」と彼を引き留めていた。
そんなある日。
支流から広い本流に出ると、すぐにちょっとした瀬があって、先代犬は「あれぇ~~~っ!」と仕方がないふりをして川に落ちた(明らかにわざと)。
すぐに引き上げようと手を伸ばしたが、ライフジャケットを着た彼は何の躊躇もなく河原へ泳いでいく。
見る見るうちに遠ざかっていく黒い毛玉……。
その解放感に満ちた後ろ姿を眺めて私はムカムカしてきた。
「そんなに父ちゃんから離れたければ勝手にしろ!」と。
「よっこらしょ!」と河原に到着した先代犬はこちらを振り返った。
「いつもみたいに迎えに来てくれるんでしょ?」という笑顔で。
しかし当時の先代犬は、もう3歳。そろそろ自分勝手な行動は控えてもらわねば困る。
幸い周囲は広~い広~い河原。見渡す限り人の気配なし。心おきなく放っておくことにした。
次に見る見る離れていくのは私たち。
先代犬は目をまん丸にして「ワンっ! ワンっ!(置いて行かないで~!)」と絶叫した。
でも無視
すると彼は号泣しながら河原沿いを追いかけてきた。
でも無視
全力疾走させること約1㎞。
「そろそろ骨身に染みただろ」と河原に上陸した。
生まれてはじめて本気で1㎞も走った先代犬。
そのまま全力疾走で私たちに飛びつき「どうしてそんな冷たいことするんだよぉ~」と何度も頭突きをしてきた。
この出来事から先代犬の私たちを見る目が変わったような気がする。
「あなた達がいないとボクは生きていけません」と認めるようになったようで、言うことを素直に聞くようになった。
3歳という年齢は、ちょうど落ち着く時期といわれている。
だからといって何もしなくても自動的にいい子になるはずはない。
なので3歳はそれまで積み重ねてきたしつけの結果が表れる時期だと思う。
しつけは、「認めさせる(諦めさせる?)」までが試練だ。
認めさせなければ、いつまで経っても「30歳になってもゴネればお金をもらえると考える子ども」のように自分の要求を押し付けてくる。
しかし、このハードルを乗り越えれば愛犬は劇的に変わる。
継続は力なり。
しつけを投げ出さないで良かった。
そして5歳以降は、空気感が「認める」から「信頼」に変化した。
それに気づいたのは私たちと波長がピタリと合うようになったから。
それまで、「言われるから仕方なく」という雰囲気もあったが、この頃からは「言われなくても生活のリズムを合わせてくる」ようになった。
要するに一緒に生活するうえで、ほとんどストレスを感じることがなくなったのだ。
・散歩のときはこちらと頻繁に目を合わし、歩調を合わせる
・排泄や苦痛といった緊急事態以外は、ほとんど自己主張をしない
これはその頃から始めた登山にも好影響だった。
まさかの、そして夢のノーリードが実現できたのだ。
(当然ながら視界に誰もいないときのみ)
登山中はノーリードでも家族の後ろをぴったりついて来る。
前に出ることはない。
さらにキャンプ中もノーリードで一晩中近くに寄り添っている。
(無人の山奥です)
ずっと家庭内暴力をしていた息子が二十を過ぎて
「おやじ、初任給が出たから飲みに行こう。おごるよ」
と言い出すくらいの成長。
かわいくて、かわいくて、存在しているだけで満足なぬいぐるみが、
突然話し出すくらいの感動。
まさにペットを超える息子+親友という存在になった。
先代犬は、そもそも根性なしのくせにプライドが非常に高かった。
(泰楽のように自分からお腹を見せることは最期までしなかった)
そんな犬ほど「この飼い主と一緒なら安心して生きていける」と思わせないといつまでも家族の一員にはなってくれない。
一方で信頼関係ができあがると、価値観が似てくる。
前太が楽しいことと私たち夫婦が楽しいことが同じになっていくのだ。
(まぁ犬は基本的に飼い主が楽しければ自分も楽しいのだけれど)
だから、どこへ行くにも前太と一緒になった。
毎年波乗りをしに海外へ行っていたが、クルマで一緒に行ける国内旅行にしか興味がなくなった。
それどころかペット不可のレストランには行かない。
飲みにも行かない。
すると、さらに絆も深まっていく。
結果的に犬を飼うことによる出費はプラスマイナスゼロ。
単なるペットとそれを超えるパートナーの差は想像以上に大きかった。
何より満足感を味わったのは、「他人に迷惑をかけない」と自信を持ってアウトドア(カヌー・登山・キャンプ)を楽しめること。
親友だから信用できる。
人間の親友が登山中に突然どこかへ行ってしまう?
突然大声で騒ぐ?
そんなこと絶対にしないと信用できたから、山でも川でも海でも何の心配もすることなく一緒のペースで遊んだ。
(たまに疲れると勝手に木陰で休んでたけど……)
親友となった大型犬とアウトドアを楽しむ醍醐味は、個人的には25年間続けてきたサーフィンを凌ぐものがあった。
そのことをどうやって知ったのか、
雑誌『Free & Easy (フリー&イージー)』から取材も受けた↓
こちらのペースに合わせるのは、アウトドアにいるときだけではない。
酔っぱらって床に寝転ぶと「仕方ないなぁ」という表情で隣に寝転んできた。
サタデーナイトフィーバーで嫁さんがダンシングクイーンになると、それ以上のキレキレダンスを披露した。
寝室に行く前にリビング内階段に座ると「おやすみなさい」と肩に顔を乗せてきた。
クルマの運転中に後ろへ手を伸ばすと「あいよ!」と手のひらに顔を乗せてきた。
(前太の定位置はセカンドシートの足元)
犬を飼う前に「こんなことしてくれる子がいたらなぁ」と妄想していたことを、いつの間にか全部してくれた。
実はずっと心の中で「パトラッシュと少年ネロのように親友同士になるには、プロのトレーナー級にならなきゃ無理でしょ」と思っていた。
でも、なれた。
ただし、それでも前太のズルい性格は変わらなかった。
とにかく態度が露骨。
普段はお母しゃん(嫁さん)大好き。
家の中では常に嫁さんの方ばかり見ているし、3人で散歩に行くと段々と嫁さんの方に近づいて行く。
いつもやさしく遊んでくれるからだ。
実はそのことをちょっぴりくやしいと思うこともあった。
ところがアウトドアになると態度が真逆に。
登山中は私の後ろばかり歩くし、嫁さんと二手に分かれると私の方について来る。
また、川遊びで私が飛び込むと、「お父しゃんが溺れてしまう!」と毎回勘違いして泳ぎが嫌いなのに川に飛び込む。
(結局、私のところまで泳げずにUターンするけど)
「お父しゃんが溺れている! ボクちゃんが助けなければ!!」
だが、嫁さんが飛び込んでも無視。
私さえ生きていれば自分も生きていける、と思っていたらしい。
だからといって嫁を下に見ているワケではない。
その証拠に夫婦喧嘩のときに噛みついたのは私の方だった↓
https://large-dog.iehikaku.com/archives/4131
また、3歳になった頃から甘噛みを止めたし、5歳以降は彼女の言うこともしっかり聞いていた。
要するに嫁さんことは飼い主と認めつつ、守る存在だったのだろう。
(ならば、なぜ川に飛び込まない?)
このことからアルファシンドロームの考え方は違うかも、と思うようになった↓
https://large-dog.iehikaku.com/archives/4075
そんな感じで前太との5歳から天国へ旅立つ12歳までの7年間は、毎日がぽかぽかの春の日差しの中で暮らしているような心地よい生活だった。
では、二代目犬の泰楽(ゴールデンドゥードル)との生活はどうなのでしょう?
それは次回に↓
https://large-dog.iehikaku.com/archives/4242
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