僕にとっての野田知佑さん

自分らしく生きることにこだわり続けることができた恩人

キャンプに目覚めたのは、たしか1993年。大学生活最後の夏だった。
それまでサーフィン(千葉県在住)ばかりしていたが、
突然、高校時代の友人に誘われて、
「そんな時間があれば海へ行きたいのに」
と渋々ついて行った。

場所は千葉県の亀山湖へ流れ込む清流の河原。
「えっ! こんなとこ下りられるの!?」
という崖を友人の三菱パジェロが突き進んだ先は、
半径1㎞以上だ~れもいない大解放空間。

今まで一度も踏み入れたことがない自由満喫空間で、
人目を気にせずたらふく飲み・食い・雑魚を釣る楽しさに一発でハマった。
以降、20代と30代は、サーフィンと組み合わせて真冬以外は月一ペースでキャンプをするようになった。


↑は最近の鬼怒川

友人は僕がキャンプにハマったことに気づくと、
すぐにある作家の本を勧めてきた。
椎名誠と野田知佑だ。

当時の僕は、ほとんど本を読まなかった。
文庫本で読破したのは星新一のショートショートだけ。
それも中学生のとき。
とにかく家にいるよりサーフィン、クワガタ採り、飲む(at津田沼)方が優先だった。

それが何ということでしょう。
椎名&野田チームの作品は、
僕を読書の世界へグイグイ引き込んだ。
椎名さんのヘンテコ文体&世界中の自然を遊びつくす生活

野田さんの犬をパートナーとし、
誰にも束縛されないための人生哲学&それを阻もうとする人々(行政)に対する怒り
に憧れ、共感したのだ。

特に野田さんに対しては、
当時の僕のキャンプ地だった亀山湖に住んだ経験もあることから、
勝手に親近感を抱き、
現在までほとんどの作品を手に取っている。

同時に大学卒業後は転職を繰り返す(計5回)ことで、
「なぜ友人たちのようにサラリーマンを続けられないのだろう」
「みんなと同じように安定した生活がしたい」
「もしかして自分は奇人変人!?」
とちょっぴりブルーになる日が続いた。

そして40歳を前にして腹をくくった。
「他人に迷惑をかけないなら仕事はなんでもいいでしょ!」
と妻と大型犬がいるのに年収200万円以下になることを覚悟で脱サラ。

転職を繰り返していたときも、
脱サラしたときも、
いつも支えてくれたのは、
浜田省吾の「風を感じて」

野田さんの著作だった。

自由に生きる方法なんて100通りだってあるさ。
お手本として野田さんがいるじゃないか。

そう念じ続けて数年後。
おかげ様で徐々にではあるが余裕が出てきた。
そして念願のカヌーを購入。

野田さんのように愛犬をカヌー犬(バーニーズマウンテンドッグ)に育て上げることができた。

二代目の愛犬(ゴールデンドゥードル)となった今でも一緒に海・山・川での遊びを楽しんでいる。

そんな昨年(2021年)の秋、あることに気づいた。
「最近、野田さんのエッセイは目にするけど写真は見ないぞ」

検索すると80代となった野田さんが現れた。
当然、僕の頭の中にいる90年代の彼とは違う。
そして小さな後悔が芽吹きはじめた。
「なんで今まで野田さんに会おうとしなかったんだろう?」

著作や雑誌に目を通すと、彼は様々なイベントに出て、気さくにファンと交流している。
僕は少々照れ屋なので、そのような接点は恥ずかしいが、
野田さんの近所まで足を運べば偶然出会えるかもしれない。
お会いできなくても同じ土地の空気を吸えればいい。

カヌーでは、北は北海道の千歳川から

↑北海道の尻別川

南は高知県の四万十川↓まで足を延ばしている。

野田さんのお住まいは徳島県で高知県より近い。
「ならば来年(2022年)の夏に行ってみよう!」
そう心に決めていた。

だが3月31日、起床一発目のルーティンでスマホを開くと、
3月27日に84歳でお亡くなりになっていたという訃報が……。

まさか。
残念。
胸を締め付けられるような深い後悔。
ベッドの中で一気に熱いモノがこみ上げてきた。

直接言葉も交わしたこともない著名人の死去に、
涙したのは半世紀生きてきて初めてだった。

野田さん、見ず知らずの僕ですが、本当にお世話になりました。
コロナ次第ですが今年の夏は徳島県へ行きます。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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