新しい犬はけっして代わりにならない
※バーニーズマウンテンドッグを飼って後悔は1ミリもありません。はじめて飼った犬だったので3歳になるまでしつけには苦労しましたが、その後はペットを超える最高のパートナーとなりました。くわしくは本記事を読んでいただければご理解いただけると思います。
2018年8月23日、初代息子(バーニーズマウンテンドッグ)が旅立って1年が経った。
最期の様子↓
http://dog.iehikaku.com/article/452926504.html
思い出すと息子は、
「花火が打ちあがるとパニック状態になり、どこまでも必死に逃げようとする」
「通りすがりのコーギーに突然噛まれても、じっと座って我慢している」
といった具合に気が弱いにもかかわらず、プライドが高く頑固だった。
しつけで家族におなかを見せるトレーニングをしていたが、自分からは旅立つまで絶対に見せなかった。
散歩時は3歳までリードを引っ張りまくった。
↑おなかを見せるトレーニング
その頑固さゆえに、私とは幾度となくガチンコ親子プロレスをしていた。
その際、本気で噛まれたことが3回ほどある。
そのうち1回は、嫁さんとの口論中に突然横から私の前腕に噛みついてきた。
これが完全に本気モード。
万力のようにグリグリと締め付けられ、直径5㎜ほどの穴がポッカリ開いた。
「普段は私の言うことばかり聞いているのに、緊急時は嫁さんを守ろうとするのか!?」
痛みよりも驚きの方が大きくて、噛んでいる表情をじっと観察してしまった。
とはいえ、5歳になるあたりから、完全にわが家の一員となった。
一緒に生活するうえで、ストレスを感じることがほとんどなくなったのだ。
・吠えない
・リードを引っ張らない
・トイレは外でしかしない
(これが介護時の問題となったが)
・人間の食べものは欲しがらない
(人間のものは一生あげなかった。嫁さんは「最期くらいアイスクリームをあげたかった」と後悔している)
・家のなかのものを壊さない
・子どもに何をされても怒らない(目つぶしをされても)
そして、夜に私たちがリビングから寝室へ行こうとすると、自分からさっとサークルへ入る。
酔っぱらってがっつり撫でてやろうと目を合わせると、どんなに離れていても微妙な表情で身体を寄せてくる。
↑私が酔っ払ったときはぬいぐるみになるのがルール
テーブルから新聞が落ちると「あいよ!」とくわえて渡しに来る。
仕事のことなどでイライラしていると、そぉーっとサークルへ避難して息を潜める……。
さらに次のような理想的な相棒となった。
・毎週一緒に海へ行く
サーフィン中は路駐のクルマにつながれ、仲間や知らないサーファーに癒しを提供。
旅立ってからも知らないサーファーから「きょうは大きな犬はいないんですか?」と聞かれることがある。
・一緒にカヌーや川遊びを楽しむ
少しきつい瀬に入ると簡単に川へ落ちていた。
どうせ岸に流れつくので放っておくと、泳ぎが苦手なくせに見捨てられまいと必死に泳いできた。
また、私が泳ぎはじめると毎回溺れたと勘違いして飛び込み、自分が溺れて私に助けられていた。
周囲に誰もいなければノーリード。
それでも絶対に私たちから離れない。
10歳まで傾斜45度くらいの雪面でも張り付くように登った。
最後の山行は紅葉の低山(標高497m)。
ちょうど11歳の誕生日だった。
↑11歳の誕生日。宝登山(長瀞)にて
体力は私以上。
へこたれない。
文句を言わない。
なにより共に行動することを喜ぶ。
まさに理想の相棒・パートナーだった。
また、私は基本的に家で仕事をしているのでいつも一緒にいた。
おそらく当時の友人が私を思い出すときは、必ず脇に息子がいただろう。
そんな息子が1年前に、あと3カ月で12歳というところで旅立った。
バーニーズマウンテンドッグの寿命は10歳といわれている。
なので飼いはじめたときから早めの死は覚悟しているつもりだった。
それでも目の前で息を引き取った瞬間、視界が消え、音が消え、真っ暗闇に包まれた。
「息子が死んだ……?」
なにも見えない。なにも聞こえない。ただ、頭の中でこの言葉を繰り返す。
段々と冷たくなっていく亡骸をさすりながら1時間ぐらいそうしていたはず。
そして現実逃避がはじまった。
「明日の朝にコイツがいないなんて理解できない」
「ペットロスなんて自分には耐えられない」
午後8時50分に旅立ち、日付が変わる前には新しい犬のブリーダーへメールをしていた。
嫁さんはそのことを今も知らない。
ほとんどの犬が飼い主より早く死ぬことは百も承知。
それに10歳で肺癌が見つかってからは、出費を気にせずにできることはすべてやり切った。
だから後悔はない。
だが、実際に死んだら覚悟していた以上に辛かった。
しばらく誰とも会いたくなかった。
心配した友人たちが来たり、電話をしてきたが、ほとんどはメールで「今は無理」と返事をした。
話をすると死んだことを再認識してしまうから。
大事な取引先と打ち合わせをしていても、美味しいものを食べていても、ちょっと会話が途切れると「あぁ~、息子がいない」と頭に浮かんだ。
ずっと気分が落ち込んでいて寛容的でなくなるから夫婦喧嘩も増えた。
そんな経験をしても「もう犬は飼えない」とは思えなかった。
大型犬は、3歳児の愛くるしさと15歳児の体力を介護が必要になるまで維持する。
しっかり意思疎通ができるようになれば
「父ちゃんが行くところならオレはどんなところでもついて行くよ!」
と365日・24時間寄り添うようになる。
犬は人生を楽しく豊かにしてくれる。
本気で向き合えば、それ以上の価値を返してくれる。
初代息子がいなかったらカヌーはしなかったし、雪山登山にも興味を持たなかった。
犬がいなければ川遊びも登山もサーフィンもつまらない。
だから約3ヵ月後に新しい子(ゴールデンドゥードルの泰楽・たいが)を迎えた。
これで心の暗闇は消えたのか?
実はしっかり残っている。
その存在を意識する頻度は減ったが、常に心の一部に存在している。
そして意識するたびに、ぶわっと広がる。
初代息子を迎えた頃、ご近所の愛犬家から
「犬が死んだときに『また次の犬を飼えばいいじゃない』と慰められるとカチンとくる。新しい犬と前の犬は別の子なのに」
という話を聞いた。
今思うとまったくそのとおり。
新しい犬がいくらかわいくても、事あるごとに「あいつだったらこんな反応をしていたな」と、あの黒い巨体を思い出してしまう。
そしてすぐに「あいつもかわいかったなぁ」と涙があふれてくる。
つまり、新しい犬は前の犬の代わりにはならない。
ただし、次の子を迎えることで暗闇は暗闇として残るものの、初代息子との思い出の上に新しい犬の思い出が積み重なって、「やっぱり犬を飼うっていいな~」と充実感を覚える。
今まで母を失う子どものドラマなどを観て、「お母さんは君の心の中で生き続けるよ」といったセリフを聞いてもまったく理解ができなかった。
「どうやって生きるんだよ!」と。
ところがこの1年でやっと共感できるようになった。
初代息子に対して無意識に話しかけているのだ。
「こんなこと新しい子にしたらダメだよね?」といった具合に。
そして、その都度初代息子に対して恥ずかしくない行動をしようと気を引き締めている。
たぶんこの会話は一生続くだろう。
(1年後以降は毎朝線香をあげて「おはよう!」と挨拶をしている)
※現在(7年後)について
今も「心の暗闇」的なものは存在しています。
ただし、年々中身が変化しています。
最初の1年近くは死を受け入れたくない、見て見ぬふりをしたいということで「心のブラックボックス=暗闇」でした。
なので思い出話は、ほとんどしませんでした。
それが新しい犬との生活が当たり前になってくると、死を受け入れた「悲しみ・悼み」に変わりました。
ただし、思い出話をすると感情があふれてきて自制不能でした。
そして最近は「悲しみ」から「思い出」に変化してきています。
息子がドジなところ、かわいいところを思い出して夫婦で笑ってしまうのです。
それでも最後は必ず目がうるうるしてしまいます。
「やっぱりあいつはかわいかったなぁ」と彼の笑顔を思い浮かべながら。
でも、ちょっとだけ今でも隣でこちらを見上げている気がするんだよなぁ。
※この記事は「バーニーズマウンテンドッグ 後悔」と検索するとトップにくるようです。
なぜ?もしかしてバーニーズを飼ったら予想以上にやんちゃで大変だったからでしょうか?
それとも病弱だったからでしょうか?
実際に飼ってみて大変だったこと、それをどう克服したかはこちらで書いています↓
https://large-dog.iehikaku.com/archives/8169
コメント
初めまして。
ドュードル検索して、こちらのブログを拝見させてもらいました。いつもとても楽しそうにアウトドアを愛犬と過ごしている日々を羨ましく、憧れ、私もこんな日々を愛犬と過ごしていきたいと目標にさせてもらってます。
前のゴールデンレトリバーを今から1年半前に14歳半で亡くし、その半年後にドーュドルを迎えちょうど1年になりました。
私もだいぶ今の子に救われ笑顔も増えましたが、やっぱり前の子を思い出すと今でも涙が出ます。「愛犬を失って1年後に思うこと」を読んでとても共感しましたのでコメントさせてもらいました。
いつかどこかで会えて遊んでもらえたら嬉しいです。これからも楽しい日々、参考にさせてもらいますね!
ミーコさん、コメントありがとうございます。
共感していただいてうれしいです。
これからも初代息子との想い出の上に、泰楽との楽しい体験を積み重ねていこうと思います。
今後もよろしくお願いします!