小型犬は犬ではなく妖精だった!?
物心ついたとき、生き物すべてに興味があった。
4歳から5歳年上の兄の影響でクワガタ採りに夢中になり、同時に大人の人差し指くらいある毛虫を手づかみする、蟻の巣を暗くなるまで眺め続ける、といった毎日だった。
千葉県産のミヤマクワガタ
捨て犬、捨て猫は毎月のように拾ってくる。
兄と一緒に温めた牛乳を与え、子猫に頬ずりをして引っかかれる。
そのため、今でも眉毛の一部がない。
ところが30歳を過ぎた辺りだろうか。
好きな生き物とそうでない生き物の差が、はっきりしてきた。
ただし、好きの反対は嫌いではなく、興味なし。
例
大型犬:大好き
クワガタ:大好き
小型犬:興味なし
猫:興味なし
小型犬を見ると「ぬいぐるみのようでかわいいな」と思うものの、「どの子も吠えてうるさい」と飼う気にはなれなかった。
ちなみに実家では小学校のときは柴犬、中学校のときはポメラニアンを飼っていました。
たぶん、家族で一番自分がかわいがっていたと思う。
でも、接点が多いだけで、しつけや世話はノータッチだった。
さて、本題です。
先日、知り合いのクルマ屋さんにタイヤ交換へ行ったときのこと。
そのお店では、看板犬として2匹のトイプードルがいた。
体重4kgの男の子と2kgの女の子だ。
以前から面識はあり、「あまり吠えなくてかわいいな」という印象だった。
今回も事務所に入ると、2匹ともダッシュで駆け寄って来て、足元でぴょんぴょんした。
「わかった、わかった。足元にいると踏んづけちゃうよ~」
大きな子を抱きあげると、私の鼻の頭をペロペロした。
「お~お~、かわいい、かわいい」
抱っこしている間も、小さい子が無言でぴょんぴょん。
私を見つめて真っ黒な瞳を輝かせている。
ならば交代。
小さい子を抱き上げる。
その子も私の鼻の頭をペロペロ。
降ろすと2匹とも、さぁーっと事務所の奥へ駆けて行った。
私はソファに腰掛けて本を読み始めた。
数分後、ふと前方に視線をずらした。
三越のライオン??
小さい方の子だ。
ぜんぜん気づかなかった。
足元にも気配があることに気づく。
大きい方の子が真っ黒お目目で見上げている。
目が合うと、ソファにぴょんっと飛び乗って、私の膝の上でフセをした。
体重が軽いので、ぜんぜん負担ではない。
しばらくそのまま本を読む。
数分後、音もなく2匹は去って行った。
タイヤ交換をしている間、こんなことが2~3回繰り返された。
気づくと、どちらかが膝の上にいる。
構ってあげると喜んで鼻の頭をペロペロ。
本に集中し始めると、いつの間にか消えている。
「あら、いない」、そう思って窓の外に目をやると、2匹が展示場の中を蝶のように舞っていた。
なんて軽やか。
なんて愛くるしい。
なるほど、小型犬は私の考える犬ではないのだ。
私にとって犬は仲間。
一緒に山に登ったり、川を下ったりして、同じくらい体力を使い、同じようにくたくたになって、同じように達成感を味わう。
お互いに助け合う同志だ。
なので体力的に大型犬でなければならない。
一方で小型犬は、そもそも体力が同レベルではない。
(ジャックラッセルやフレブルなら同レベル以上かもしれないけど)
しかしながら、その愛くるしさは大型犬とはまったく別モノ。
まさに一生幼さを残すネオテニーそのものだ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%86%E3%83%8B%E3%83%BC
存在自体が、ふわふわと軽やかで、神出鬼没。
犬というより妖精のような非現実性を感じる。
つまり、大型犬とはまったく異なる生き物なのだ。
「これは一度ハマったら離れられないかもしれませんね」
そうクルマ屋さんの社長に話したら、目尻を下げて大きくうなずいた。
彼も基本的には大型犬好きだ。
以前はクロラブの女の子を飼っていた。
その犬が、かなりの曲者だった。
とにかく食べ物を得るための頭脳がAI並み。
ロッカーにおやつが入っていれば、余裕で扉を開けた。
従業員の机におやつが入っていれば、1日中その従業員を見つめて引き出しを開けるように迫った。
それを無視すると、わざと目の前で脱糞し、自分の身体に擦り付けて猛抗議をした。
だが、しつけに厳しい社長に対しては絶対服従。
昭和の妻のように逆らうことは一切なかった。
その献身ぶりは影で「愛人」と呼ばれていたほどだ。
そんな彼でも小型犬に対しては、厳しくしつけていない。
どちらかといえば放任しているように見える。
それなのに2匹とも彼に対して自己主張をすることはないようだ。
この「迷惑にならない自由さ」が妖精感を増幅させている。
おそらく「群れのボスは俺だ」という彼のオーラが、小型犬にも効いているのだと思う。
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